文章は過剰であり、
読者を引き込むために、
被害者と加害者を極端に別ける。
かと思えば人の命にかかわる情報が不明虜だったり、
有名人がああ言った、こう言った。
言ってもない事を書き上げられても、
読者には何が真実なのかが分らない。
漠然とした不安をあおり、
欲望を刺激する。
つまるところ広告だ。
私たち人類すべてがいやしくて当たり前で、
遺伝子自体が利己的なのだから当たり前で、
たえずあやまちを犯しているのに、
はっきりと彼は被害者で彼は加害者だと言えるのだろうか?
人はみな神の前で罪人だ。
だれもが加害者だ。
ニュースに向って文句がでるのは自分が退屈だからだ。
その退屈が常に犯罪を育て、戦争の火種になる。
協力することを忘れ、
命がいったい何であるかという事が認識できず、
自分を庇うため忙しさを装い真実を隠蔽し暗くなる。
幸せとはどこにある?
かがやきはどこにある?
ぬくもりはどこにある?
果てしなく続いている神と呼ばれる生命(いのち)はどこにある?
それは私のなかだ。
あなたの幸せとはどこにある?
あなたのかがやきはどこにある?
ぬくもりはどこにある?
果てしなく続いている神と呼ばれる生命(いのち)はどこにある?
それはあなたのなかだ。
目に映るものしか、
この世界にはないのか?
目に映らないものは、
美しくないのか?
世界には精神世界(神の世界)と人間界と自然界がある。
それらは常に空間を歪めながら電波している。
人のあやまちは人類すべてのあやまちだ。
夢を見続けるすべての人類、
いいものだけを観ることはできるはずだ。
世界は光に満ちている。
星は光だ。生命は光だ。空気も風も雨もすべて。
我々が観念でつくり上げた時間もなにもかもすべて。
すべては愛だ。