2011年9月21日水曜日

ニュース

普段よく目にするニュース、
文章は過剰であり、
読者を引き込むために、
被害者と加害者を極端に別ける。
かと思えば人の命にかかわる情報が不明虜だったり、
有名人がああ言った、こう言った。
言ってもない事を書き上げられても、
読者には何が真実なのかが分らない。
漠然とした不安をあおり、
欲望を刺激する。
つまるところ広告だ。

私たち人類すべてがいやしくて当たり前で、
遺伝子自体が利己的なのだから当たり前で、
たえずあやまちを犯しているのに、
はっきりと彼は被害者で彼は加害者だと言えるのだろうか?
人はみな神の前で罪人だ。
だれもが加害者だ。

ニュースに向って文句がでるのは自分が退屈だからだ。
その退屈が常に犯罪を育て、戦争の火種になる。
協力することを忘れ、
命がいったい何であるかという事が認識できず、
自分を庇うため忙しさを装い真実を隠蔽し暗くなる。

幸せとはどこにある?
かがやきはどこにある?
ぬくもりはどこにある?
果てしなく続いている神と呼ばれる生命(いのち)はどこにある?
それは私のなかだ。

あなたの幸せとはどこにある?
あなたのかがやきはどこにある?
ぬくもりはどこにある?
果てしなく続いている神と呼ばれる生命(いのち)はどこにある?
それはあなたのなかだ。

目に映るものしか、
この世界にはないのか?
目に映らないものは、
美しくないのか?

世界には精神世界(神の世界)と人間界と自然界がある。
それらは常に空間を歪めながら電波している。
人のあやまちは人類すべてのあやまちだ。

夢を見続けるすべての人類、
いいものだけを観ることはできるはずだ。

世界は光に満ちている。

星は光だ。生命は光だ。空気も風も雨もすべて。
我々が観念でつくり上げた時間もなにもかもすべて。
すべては愛だ。