2011年8月30日火曜日

詩人は敗北に終わる。


最近、過去の話ばかり書いている。
過去はうんこだ。
しかし、物を書くという事はどういう事だろう?
書けば書いた瞬間から書いた物は過去の物となる。
過去は人の記憶の中で美化される。
未来の話は嘘になる可能性がある。
真実ではないかもしれない言葉を世界に残すはめになる。

「詩人は敗北に終わる。」とはキルケゴールの言葉だ。
詩人が敗北に終わる事を知りつつも詩人を最期まで続けたキルケゴール。
本当の優しさとはキルケゴールのように、
変わらぬ愛を捧げ続けた事ではないだろうか?
などと思う。

負けるから辞めるでは優しくもなんともない。

2011年8月29日月曜日

青春の思い出は、ぬるくなったビールのようだ.それを飲んで「こいつは美味い」などと皆が笑うものだから私も一緒になって笑っている。

私の高校時代の思い出といえば、
ローリングストーンズだ。



来日で、東京ドームでライヴした映像を深夜番組で見た時に世の中には、こんなにもカッコいいものがあるのか!?と衝撃を受けた。
その日まではロックなんてガチャガチャうるせーだけでヤンキーの聴く音楽だと思い込んでいたから。
それから親にねだってCDラジカセを購入して、CDを買ってストーンズを聴きまくった。
あとベロのマークのTシャツも着まくった。
私の数少ないお洒落着?オシャレじゃないか?違うよな?でもいいでしょう?高校生だったし。
ストーンズの何が魅力って悪いところだ。ダークでクールで不良で!
なによりセクシーでエクスタシーなところだ。
高校生の自分にとって自分の悪いところを全面に曝け出している快楽主義者の大人は本当にカッコ良かったのだ。
それまで漠然と生きて行く為にするべき事は善人の仮面を着けなければならない事だと思っていた。
そういった価値観が彼等のステージを観て壊れた。
ガラガラと。
そういうガラガラとした音が私の頭の中で鳴った。
それから私は自分でもギターを弾きたくなって、またもや親にねだったが、
これは、どうにも聞き入れていただけなかった。
でも、どうしても欲しかったので私はコンビニのバイトでお金を貯めて黒いストラトの偽物とギターアンプを買った。
そのコンビニの店長がまさか、当時つきあっていた彼女の二股の相手だとは知らなかったが、
それも、なんというか甘酸っぱい思い出だ。
店長に女とられたのは、悔しかったなー。
あの女をチャリの後ろに乗せた時に背中に胸が当たって来て、あれが高校時代で一番うれしかった事で、
一番辛かったのは、女と待ち合わせして4時間待っても来なくて、それきりになった事だ。
あの少し前からデートの時になんだか不穏だったのだが、その頃から店長と二股してたらしい事を店長の部下から聞いた。
まあ弱肉強食?
男は負けたら引き下がらないとね。

ところで生まれて始めて買ったギターは2度目のライブで床に殴りつけて粉々に壊しました。
馬鹿だなー楽器は大事にしないとなー。
その場のテンションで行動すると失敗するのよ。
失敗は成功の糧というが?失敗の経験値だけは異常に高い私だ。
私に様々な経験という自由を与えて下さった。天上におわす何者かに深く感謝いたします。
しかし創るために買ったものを壊してしまうなんて…。
生まれ変わったら二度と楽器は壊しません。
まあそれも、なんというか甘酸っぱい思い出だ。
おっとなんだか宗教臭くなってしまいましたね。
失礼失礼、ロックは神を殺して仏を殴って生きていかんとね。
ではでは。
明日は代々木でライヴです。

2011年8月24日水曜日

信頼とコミュニケーション


前回さんざんヤンキーの悪口を書きました。
ええ後悔してません。
反省はしてます。
幼い日々に、よく周りの大人達に「友達は選びなさい」って咎められてたものですよ。
しかしですね、友達なんてそんな簡単に出来るものですかね?
私は性格が歪んでいるので友達をつくるのを、とても難しく感じていました。
ぶっちゃけて言えば、
「人と人とがコミュニケーションをとれる。と云う事が、もう嘘だな」と思ってましたし、今でも思います。
私はコミュニケーションのとれている家族も恋人関係も友情関係も職場もコミュニティーも見た事がありません。
あと信頼なんて言葉は机上の空論で自己啓発本が金儲けの為に産み出した陶酔ヴィジョンだと思っています。
信じている人を見た事はありますが、
信頼されたり信頼している人を私は見た事がありません。
すれば必ず裏切るし裏切られます。
がっかりするのです。
まあそんな事を思っている子供ですから、友達は必然少ないのです。
どうにも私には友達のつくり方が解らないのです。
だから自分が友達を選べるような偉い立場の人じゃない事は幼い頃から、よく知っています。
幼い私が年上の兄ちゃんに絡まれていた時に、私を助けてくれたのはヤンキーでした。
他のヤツはビビって逃げるんです。
私と殴り合いの喧嘩をしてくれるのはヤンキーでした。
いえ当時はエネルギーがありあまっていたのです。
男はグーで会話するって感じです。
私がバスケットボールをしたかった時に一緒について来てくれたのもヤンキーでした。
その練習につき合ってくれたのもヤンキーでした。
一緒に登下校するのもヤンキーでした。
好きな女の子がいるのを打明けたのを聞いてくれたのもヤンキーでした。
受験勉強を一緒に頑張ったのもヤンキーとでした。
かつあげされた時に助けてくれたのもヤンキーでした。
好きな女の子に告白する時に背中を押してくれたのもヤンキーでした。

でもヤンキーは嫌いでした。
嫌いな理由は前の日記で、、、。
ヤンキーの町が嫌いで私は故郷に背を向けました。
「もっと品のいいヤツとつき合いたい」と傲慢ちきに思い立った私は、
芸術大学なんぞに入学しました。
そこの連中は、まったくもって別人種でした。
居心地のいい、ぬるま湯そのものでした。
何か困ったらヤンキーじゃなくて、とにかく酒の世界でした。
ヤンキーを毛嫌いする、それなりにアイデンティティの出来上がったオシャレな連中でした。
私はそこで浴びる程に酒を飲みました。
私は酒がそんなに好きではありません。
あれは景色を忘れてしまうのです。
だから好きではありません、景色はハッキリ見たいのです。
ちなみにロックミュージックの一番好きな所はハッキリしている所です。
しかしまあ酒を飲む事くらいでしか友達の作り方が解らなかったのです。
アホウになってアホウ踊りをするのです。
嫌いなものに背を向けても、好きではないものが目の前に広がっているのです。
ついでに言うと痴漢にあった時もゲイにナンパされた時も周りに大声で助けを求めたのですが、
その街では誰も私を助けてはくれませんでした。
殴って逃げましたが。
さすがに、その頃の年齢になると人を殴って物事を解決するのが恥ずかしかったです。

ある時に私の事を友達だ。と言ってくれる方に会いました。
そして本を読む事をすすめられ、
私に真剣に生きるようにとおっしゃってくれました。
その方の前で私は馬鹿みたいに沢山泣きました。
その方と会う時に酒は必要ありませんでした。

私は彼がどうして私のような、どうしようもないアウトローを友達にしたのか?よく解りませんでした。
なぜなら私と友達になっても彼には何の利益もないのです。
むしろ私とつきあえば私に交際費や貴重な時間を奪われ彼は大損をしているのです。
どうしても疑問に思い彼に「どうして私などを友達にしたのですか?」を聞きました。

彼は「無粋な事を聞く」と、少し笑ってから「会ったからだ」とおっしゃいました。
人間は会ったら愛さなければならない。
それが例えお前のようなナマイキなゴロツキでも。
そうおっしゃっていました。
私は彼に愛されました。
世界には愛があるのだと知りました。

ヤンキー


歌詞を書く時に気をつけている事がある。
それは自分の嫌いな事を決して書かない事だ。
個人の嫌いな事ほど他人の興味をひかないものはないし、
だいたい言葉にして嫌いなものを言ってみた所で、
嫌いなものを好きになれるでもなし、
スッキリするわけでもなし、
聞いた方も言った方も、ただただ気分が悪くなるだけで不毛なのだ。

だが私は今日、嫌いなものを書いてみる。
矛盾している。
とても不毛な話なので、気分が悪くなりたくない方は、
ここから先は読まない方がいい。

私の育った町には実にヤンキーが多かったのだ。
小さな頃の友達は、だいたいヤンキーになった。
いや彼等は小さな頃から実に腕白でヤンキーだった。
私が始めて煙草を吸ったのは小学3年の時だ。
友達と遊んでいて、
誰かのオヤジの煙草をくすねて来て、
みんなで1本の煙草を回しながら吸った。
背徳感を仲間同士で共有して楽しんだわけだ。
その友達連中は、もれなく立派なヤンキーに育っていった。
立派なヤンキーとは中学校の校舎にヤクザのスカウトが来るレベルのヤンキーだ。
今の時代では、きっと想像もつかない事だろう?
今でもあるのかな?
ピカピカの外車で校舎に乗り込んでくる風景。

私がヤンキーを嫌いになったのは中学からだ。
ヤンキーを友達だと思って挨拶したら、背中にタンを吐かれたから嫌いだ。
それでもヤンキーに挨拶したらモデルガンを撃ち込んでくるから嫌いだ。
部室に勝手に上がり込んで麻雀するからヤンキーは嫌いだ。
髪型のセットでグチグチとちっこい事を言ってくるからヤンキーは嫌いだ。
車に乗せてくれる時も一々細かい指示をしてくるからヤンキーは嫌いだ。
それで車の自慢に酔いしれてる所も嫌いだ。
しかも善良な一般人の車をあおったり、自転車に幅寄せしたりして酔いしれてるからヤンキーは嫌いだ。
喧嘩した時に鼻を曲げられたからヤンキーは嫌いだ。
ゲームのコントローラーを投げつけてくるからヤンキーは嫌いだ。
何一つ有益な事をしてくれないのに、他人に自分の正しさを強要するからヤンキーは嫌いだ。
しばらく顔を見ないと思ったら、
顔中をボロボロにして登場して心配かけるからヤンキーは嫌いだ。

あげたらキリがないけど。
本当に一番嫌いなのは、
酔っぱらって五月蝿いバイクで走り回って、
すぐに死んじまうからヤンキーは嫌いだ。

本当にコロッと死ぬんだから、
顔が半分以上なくなって、
青くなって、
若くて奇麗な顔だったのに。

大嫌いだったヤンキーの町から離れて20年がたち、
去年、実家に帰った時に、
今でも生き残っているであろう連絡の途絶えたヤンキー達の家を尋ねたら、
どの家も違う人の家やマンションや駐車場になっていて、
「ああ時間はこんなに流れてたんだな」なんて当たり前の事に気付いた。

2011年8月18日木曜日

泣いている人

泣いている人を、
瞬間移動させて、
陸の孤島にポツンと立たせると、
即座に泣き止んでしまうそうです。

2011年8月17日水曜日

イエーイ

あるがまま

なすがまま


戦で敵に囚われた者を虜と呼ぶ。
突き抜けろ。
突き抜けろ。

囚 口 人

トリコ トリカゴ

虜になった者は自分を失い夢中になるという。
虜 男

男は何に囚われたのか?

口 人 ノ
 
囚われたのは男。
田 力

男の一生は働いて働いて働いて、ある日にポテっと死んじまう。
それが悔しくて。
悔しくて。
悔しくて!

芸術なんぞを作ってみようとあがく。

精神的な娯楽を作ろうとあがく。

できたもの。
それが高貴であるか?低俗であるか?
関係なんぞあるものか!
ただ刻みつける。

考え抜いた物は説教臭く、
説明は野暮ったく、
ああ、
やはり虜、
説教は檻、説明は粘着、
さながらゴキブリホイホイ。
トリカゴ、口 人 ノ

感情でできた女は、
よっぽど上手に詩を詠む。

普遍的な物は外発的だ。

色恋沙汰を突き抜ける。
突き抜ける。
突き抜ける。

囚人 口 人 ノ


2011年8月14日日曜日

オレとマスオ


オレオレ言ってるヤツにロクなヤツはいない。

オレとマスオのツーショットです。





2011年8月12日金曜日

細胞の歌

1つの細胞まで完全に分解して、
その細胞をこすったら、
もしかしたら煙が出るかもしれない、
その煙が詩なんだ。

という作り方もある。

2011年8月11日木曜日

限界


宇宙を卵やリンゴに見立てたら、
想像しやすい。
限界のあるものは自分の中に収まりやすいので、
宇宙は丸いなどと言う。
膨張しているのだとも言う。
宇宙の限界が膨張していると、
それは想像しやすい。
ビッグバンは1回だと想像がしやすい。
まるで絵本を読んでいるように想像がしやすいだけ。

ビッグバンはあちこちで起こった。
と想像できるだろうか?
爆発がたった1回のはずがない。
あっちこっちで爆発した。


宇宙の中を爆発でできたチリは銀河になり、銀河はあちこちに動き、
ある銀河は、この銀河から離れていっているように見える。
その現象が宇宙の膨張のように思うのは、
自己を中心に物を考えているからではないだろうか?
現実の形は物と物との相互関係にある。

銀河は無数にある。
そう想像すると気持ち悪い。

宇宙は無限である。
そう想像すると気持ち悪い。

ウィドゲンシュタインは「解らぬ事は黙れ」と言った。

限界のある頭蓋骨の中の私は、限界のないものを気持ち悪く感じる。

気持ちがよかろうが悪かろうが宇宙は無限だ。

2011年8月7日日曜日


朝出したウンコを流さずに、一日中いえいえ3年間いえいえ20年いえいえ30年、ずっと眺めて、
「どうして臭いのかしら?」と首をかしげる。

ウンコだからだ。

ウンコと向き合ってたら、それは辛い、
なにより退屈だ。
これが私の古傷だって?
冗談じゃない、ただのウンコだよ。
自分探しだって?
冗談じゃない、ウンコを見てるだけだよ。

悪い事にピントをあわせると、
どんどん悪くなってしまう。
過去にピントをあわせると、
今にピントがあわなくなる。

暗闇の中にいくつもの美しい花が咲いていても、
光をあてなきゃ見れないんだ。
間違って踏んづけてしまう。

他人の目の中にチリが入っているのが見えるのに、
私の目の中に大きな丸太が入っている事に私は気付いていないんだ。

明るくなるよ。
どんどん明るくなる。
気付けば気付くほど、明るくなる。

ウンコはじゃーっと流して、
ハナクソはティッシュにくるんでゴミ箱に捨てる。

花は咲いている。
いつでも、いつだって、

そう願えば光は射すんだ。

ああ人間はバカのままで偉大だ。

そうか私はウンコなんて見ずに花を見るんだ。

星は光る。
生命は光る。

ああ人間はバカのままで偉大だ。

2011年8月6日土曜日

8月6日


私の父方の祖父は父を生んだ後に、
広島の市内で原爆の直撃にあい亡くなった。
その後に私の祖母は未亡人となり、
嫁ぎ先の祖父の実家でしばらく幼い父と暮らした。
やがて実家に身の置き場をなくしてしまった祖母は、
別の家に嫁ぐ事となり、
次の家に幼い父を連れて行く事ができず、
父は私の曾祖父が引き取り、
母子は離れ離れになった。
祖母の嫁ぎ先の姑さんは、地域でも有名な鬼ババアで、
何人かの嫁が嫁いでは執拗な嫁いびりにあい逃げ出していたそうだ。
祖母が嫁いだ時に近所では、
「次のお嫁さんは、何日もつことか」
と噂されたそうだ。
私の祖母は嫁いびりにも我慢強く耐え、
二人の子供をもうけた。
何故そんなに耐えれたのか?と私が祖母に質問したときに、
祖母はニコニコして、夫がとても優しかったからと、のろけていた。
とても仲の良い夫婦で命の閉じるその時まで夫婦の縁は続いた。
祖母の家は広島県の山奥の田んぼだらけの小山の中腹にあり、
大きな池で鯉を養殖していた。
祖母の旦那さんが奇麗な鯉を指差し、「あれは50万円で売れる」
と言っていた。
売れない鯉は小さな内にまびかれていた。
この夫婦は早朝から晩まで、よく働いていた。
家は藁葺き屋根の日本家屋で、とてもいい匂いがしていて、
お風呂は釜だった。
釜風呂は薪で炊き、本当に暖かい風呂だった。
家の離れに蔵があり、
その蔵の中に私の父の写真の入ったアルバムが隠されるように入っていた。
青い空に大きな入道雲の下で、
アブラゼミの鳴く音の聞こえる陽の当たる縁側に、
私と祖母は二人きりで座り、
祖母はアルバムをゆっくりと捲り、
私に見せてくれた。
父を育ててくれた私の曾祖父から送ってもらった写真だそうだ。
私の父は私を生んでから半年で、この世を去ったので私は父の事をよく知らなかった。
アルバムを捲りながら、
私の知らない父の出生から死に至るまでの話を私は祖母から又聞きで聞いた。
私は生前の父の事を知る多くの方から父の話を聞かされたが、
みな口をそろえて私の父は真面目で優しい方だった。
と語っていた。
祖母の見せてくれた父の少年時代の写真の父がワンパクそうなガキんちょだったので、
なにか凄く安心している自分を私は私の中に発見していた。

坂口安吾が堕落論でいう通り日本人の本質は過去を流し去るようにできているらしい。
その流されやすい精神を武士道などで厳しく律していたのだそうだ。
忘れてはならない事をくり返し、くり返し自分に唱えたそうだ。

8月6日、
世界が平和でありますように、
黙祷。

2011年8月5日金曜日

おっぱい


私の性別は男だが、
どう云う訳か私にはおっぱいがある。
最初に気付いたのは小学4年の時で、
プールの授業の時に隣にいたクラスメートに、
「おまえ、男のくせにおっぱいがあるな?」
と指摘された時だ。
聞いてから、
私は自分の胸をまじまじと見つめた。
確かにある。
その後に他の男子クラスメートの胸を観察した。
みんなの胸には、ふくらみがなかった。

以来、自分の裸が恥ずかしく、
修学旅行などでもクラスメートと一緒に風呂に入るのを避けるようになった。
思春期時代に数名の女子に「かわいい」と言われた。
わたしは、かわいいと言われるのが気持ち悪かった。
私にとって、かわいいのは女子や子供で、男はかわいくなかったからだ。
腹立たしくて筋トレをした。
なかなか強くはなれなかった。
今思えば、彼女達はなんでもかんでも、かわいいと言っているのだ。
気にする事でもなかったのだと思う。
学校の帰り道に年配の方が私を見ながら、チンコをファスナーから出してしごいていた。
私は彼の大きなチンコをしばらく見ていた。
あんなに大きなチンコを見たのは生まれて始めてだった。
当時の私には彼が何をしているのか理解できなかった。
バスに乗っている時にナンパをされた。
私が男だと気付くとナンパ師は離れて行った。
痴漢をされた事もあった。
痴漢の彼は自分のチンコを私の顔に押しつけてきた。
私は、彼を撃退するために彼に暴力をふるった。
彼はニヤニヤしていた。

おっぱいがあるのは、きっと太っているからだ。と思い。
ダイエットをした。
体重がいくら落ちても、おっぱいは無くならなかった。
成人した頃に2、3本の髭が生えた。
ようやく男らしくなった。ととても嬉しかった。
次第に顔もゴツゴツしてきて、
ナンパをされる事も痴漢される事もなくなった。
しかしおっぱいは無くならなかった。
今でも私には、おっぱいがある。

2011年8月3日水曜日

深層心理の言葉


相手を打ちのめそうとして、
戦うという事は、
相手のステージに立つと云う事になる。

人間は深層心理では、
なんでもかんでも一人称でしか受けとれないそうだ。
どういう事か?というと、
脳みそで考えている事とか、心に浮かんでくる事とかいう表層的な意識よりも、
もっと深い自分でも見えない自分の内(なか)の奥底で、
なんでもかんでも自分の事として受けとってしまう。
という事だそうだ。
その奥底の自分が今現在の自分を取り巻く環境を決定しているそうだ。
例えば、
誰かを「あいつはケチだ。」と批判すれば、
私の深層心理は「私はケチだ。」と解釈するらしい。
誰かを「あいつは五月蝿い(うるさい)。」と批判すれば、
私の深層心理は「私は五月蝿い。」と解釈するらしい。
「みんな我侭ばっかり。」と批判すれば、
深層心理は「私は我侭だ。」と解釈するらしい。

この深層心理の話を聞いた時に私は、
世の中から「貧困」という言葉がなくなれば世界は豊かになれるのでは?と考えた事があるが、
この考えは、「他人の不幸は蜜の味」という言葉によって打ちのめされた。
私はほんの一時の快楽である「蜜」を得るために貧困という言葉を使うようだ。

批判する言葉というのは全て退行している。
その場に留まって、何一つ前進できない言葉だ。
「いつか彼にも解るさ。」と現状に甘んじる言葉だ。
いつ来るとも解らない時を永久に待っている言葉だ。
肉体は時間と共に進行するのに、心や魂や脳みそが「ここに留まりたいよー。」といつまでも幼いままで、乳を求める赤ちゃん言葉だ。
批判をすればするほど幼児化してしまうのだ。

ニーチェは「神は死んだ、真実は創るものである。」
と言っている。
真実とは前進するものだ。という事だ。
真実の前進という事は具体的な行為を促す(うながす)事だ。
「あいつはケチだ。」では前進できないのは自身がケチに留まっているからで、
自身は自身の豊かさを示さなければ言葉は前進しない。
こんな時はマザーテレサの言葉なんかはどうだろう?
「わかちあいましょう。」
マザーの言葉には前進する言葉が豊富にある。
ケチでは残念ながら通じない、どうしても通じない。
ケチだからどうしてほしいのか?
自分はどうしたいのか?
具体的に相手には伝わらないのだ。
「そのくらい察してくれ。」などと言ってみても、
察してほしいのは自分の都合でしかないのだ。
自分の都合で世界が前進するなら、この世界には一人の人物しかいない事になってしまう。
過去に生きた人も今現在に生きている人もいない、自分だけの世界。
自分の都合で他人の命を奪う殺人狂と何処が違うのだろう?
もしも好きな人がいるなら「好き。」と伝えなければ前進しない。
もしもキスしてほしいなら「キスがしたい。」と伝えなければ前進しない。

我々人類の精神には「他人の不幸は蜜の味」という毒素がまじっているらしい。
しかし未だに我々は他者を理解してはいない。
この人類でいったい誰が幸せなのか?
相手の幸福や不幸を自分の内(なか)で勝手に決めつけ、思い込み、相手に押しつけ、
同じステージに立たせて戦いを挑む。
そしてステージの上には依存し合った者が蜜の味を求めて、お互いにお互いを食いつぶそうと企む。
ルサンチマンとナルシズムの発露(はつろ)だ。

「蜜」は個人の主観的な妄想であり客観的な現実には存在しない、
煮ても焼いても食えない、
実際には何処にもないものだ。
真実ではないものだ。
真実ではないものに、どう他者が共感できるだろうか?
真実なしで、心と心を繋げる事がどうしてできるだろうか?
実際に目の前に映し出されるものは両者の依存関係だ。
ルサンチマンとナルシズムの発露(はつろ)だ。
その両者は、
私は私が好きであり、
相手は相手が好きである。と云う関係にある。
好きと好きでプラスマイナスゼロである。
なんにもない。
なんにもないが、そこには体温がある。
ぬくもりが存在する。
ぬくもりとは生命(いのち)である。


ある人にこんな質問をした事がある。
「人間はどうして戦争をするのですか?」
彼は即答した。
「退屈だからだ。」

2011年8月1日月曜日

記憶喪失


その件にかんしましては、一切記憶にはございません。



記憶喪失になった事あるかな?

私はある。

一番凄かった記憶喪失は、
19歳の時に起きたもので、
衝撃すぎて逆に忘れられない出来事でした。
朝、自転車にまたがったと云う記憶から、その日の夕方に自宅で起きる所までの記憶がまったくないんです。
それで頭には大きなコブができてて、
友達からは「今日お前は変やったぞ」と電話がかかってきたりした。
あの日はなんだったのかな?

あとお酒を飲むと頻繁に記憶を失います。
だから、あんまり飲みたくないです。
大事な時を覚えておきたい。

私が見た幽霊も私の気絶も私の記憶喪失も、
証拠がないんですよね。
証明してくれる隣人もいないのです。
だから、
いくら私は見たとか経験したとか言っても、
他人には伝わらないんです。