それは自分の嫌いな事を決して書かない事だ。
個人の嫌いな事ほど他人の興味をひかないものはないし、
だいたい言葉にして嫌いなものを言ってみた所で、
嫌いなものを好きになれるでもなし、
スッキリするわけでもなし、
聞いた方も言った方も、ただただ気分が悪くなるだけで不毛なのだ。
だが私は今日、嫌いなものを書いてみる。
矛盾している。
とても不毛な話なので、気分が悪くなりたくない方は、
ここから先は読まない方がいい。
私の育った町には実にヤンキーが多かったのだ。
小さな頃の友達は、だいたいヤンキーになった。
いや彼等は小さな頃から実に腕白でヤンキーだった。
私が始めて煙草を吸ったのは小学3年の時だ。
友達と遊んでいて、
誰かのオヤジの煙草をくすねて来て、
みんなで1本の煙草を回しながら吸った。
背徳感を仲間同士で共有して楽しんだわけだ。
その友達連中は、もれなく立派なヤンキーに育っていった。
立派なヤンキーとは中学校の校舎にヤクザのスカウトが来るレベルのヤンキーだ。
今の時代では、きっと想像もつかない事だろう?
今でもあるのかな?
ピカピカの外車で校舎に乗り込んでくる風景。
私がヤンキーを嫌いになったのは中学からだ。
ヤンキーを友達だと思って挨拶したら、背中にタンを吐かれたから嫌いだ。
それでもヤンキーに挨拶したらモデルガンを撃ち込んでくるから嫌いだ。
部室に勝手に上がり込んで麻雀するからヤンキーは嫌いだ。
髪型のセットでグチグチとちっこい事を言ってくるからヤンキーは嫌いだ。
車に乗せてくれる時も一々細かい指示をしてくるからヤンキーは嫌いだ。
それで車の自慢に酔いしれてる所も嫌いだ。
しかも善良な一般人の車をあおったり、自転車に幅寄せしたりして酔いしれてるからヤンキーは嫌いだ。
喧嘩した時に鼻を曲げられたからヤンキーは嫌いだ。
ゲームのコントローラーを投げつけてくるからヤンキーは嫌いだ。
何一つ有益な事をしてくれないのに、他人に自分の正しさを強要するからヤンキーは嫌いだ。
しばらく顔を見ないと思ったら、
顔中をボロボロにして登場して心配かけるからヤンキーは嫌いだ。
あげたらキリがないけど。
本当に一番嫌いなのは、
酔っぱらって五月蝿いバイクで走り回って、
すぐに死んじまうからヤンキーは嫌いだ。
本当にコロッと死ぬんだから、
顔が半分以上なくなって、
青くなって、
若くて奇麗な顔だったのに。
大嫌いだったヤンキーの町から離れて20年がたち、
去年、実家に帰った時に、
今でも生き残っているであろう連絡の途絶えたヤンキー達の家を尋ねたら、
どの家も違う人の家やマンションや駐車場になっていて、
「ああ時間はこんなに流れてたんだな」なんて当たり前の事に気付いた。