2011年8月24日水曜日

ヤンキー


歌詞を書く時に気をつけている事がある。
それは自分の嫌いな事を決して書かない事だ。
個人の嫌いな事ほど他人の興味をひかないものはないし、
だいたい言葉にして嫌いなものを言ってみた所で、
嫌いなものを好きになれるでもなし、
スッキリするわけでもなし、
聞いた方も言った方も、ただただ気分が悪くなるだけで不毛なのだ。

だが私は今日、嫌いなものを書いてみる。
矛盾している。
とても不毛な話なので、気分が悪くなりたくない方は、
ここから先は読まない方がいい。

私の育った町には実にヤンキーが多かったのだ。
小さな頃の友達は、だいたいヤンキーになった。
いや彼等は小さな頃から実に腕白でヤンキーだった。
私が始めて煙草を吸ったのは小学3年の時だ。
友達と遊んでいて、
誰かのオヤジの煙草をくすねて来て、
みんなで1本の煙草を回しながら吸った。
背徳感を仲間同士で共有して楽しんだわけだ。
その友達連中は、もれなく立派なヤンキーに育っていった。
立派なヤンキーとは中学校の校舎にヤクザのスカウトが来るレベルのヤンキーだ。
今の時代では、きっと想像もつかない事だろう?
今でもあるのかな?
ピカピカの外車で校舎に乗り込んでくる風景。

私がヤンキーを嫌いになったのは中学からだ。
ヤンキーを友達だと思って挨拶したら、背中にタンを吐かれたから嫌いだ。
それでもヤンキーに挨拶したらモデルガンを撃ち込んでくるから嫌いだ。
部室に勝手に上がり込んで麻雀するからヤンキーは嫌いだ。
髪型のセットでグチグチとちっこい事を言ってくるからヤンキーは嫌いだ。
車に乗せてくれる時も一々細かい指示をしてくるからヤンキーは嫌いだ。
それで車の自慢に酔いしれてる所も嫌いだ。
しかも善良な一般人の車をあおったり、自転車に幅寄せしたりして酔いしれてるからヤンキーは嫌いだ。
喧嘩した時に鼻を曲げられたからヤンキーは嫌いだ。
ゲームのコントローラーを投げつけてくるからヤンキーは嫌いだ。
何一つ有益な事をしてくれないのに、他人に自分の正しさを強要するからヤンキーは嫌いだ。
しばらく顔を見ないと思ったら、
顔中をボロボロにして登場して心配かけるからヤンキーは嫌いだ。

あげたらキリがないけど。
本当に一番嫌いなのは、
酔っぱらって五月蝿いバイクで走り回って、
すぐに死んじまうからヤンキーは嫌いだ。

本当にコロッと死ぬんだから、
顔が半分以上なくなって、
青くなって、
若くて奇麗な顔だったのに。

大嫌いだったヤンキーの町から離れて20年がたち、
去年、実家に帰った時に、
今でも生き残っているであろう連絡の途絶えたヤンキー達の家を尋ねたら、
どの家も違う人の家やマンションや駐車場になっていて、
「ああ時間はこんなに流れてたんだな」なんて当たり前の事に気付いた。