2011年8月24日水曜日

信頼とコミュニケーション


前回さんざんヤンキーの悪口を書きました。
ええ後悔してません。
反省はしてます。
幼い日々に、よく周りの大人達に「友達は選びなさい」って咎められてたものですよ。
しかしですね、友達なんてそんな簡単に出来るものですかね?
私は性格が歪んでいるので友達をつくるのを、とても難しく感じていました。
ぶっちゃけて言えば、
「人と人とがコミュニケーションをとれる。と云う事が、もう嘘だな」と思ってましたし、今でも思います。
私はコミュニケーションのとれている家族も恋人関係も友情関係も職場もコミュニティーも見た事がありません。
あと信頼なんて言葉は机上の空論で自己啓発本が金儲けの為に産み出した陶酔ヴィジョンだと思っています。
信じている人を見た事はありますが、
信頼されたり信頼している人を私は見た事がありません。
すれば必ず裏切るし裏切られます。
がっかりするのです。
まあそんな事を思っている子供ですから、友達は必然少ないのです。
どうにも私には友達のつくり方が解らないのです。
だから自分が友達を選べるような偉い立場の人じゃない事は幼い頃から、よく知っています。
幼い私が年上の兄ちゃんに絡まれていた時に、私を助けてくれたのはヤンキーでした。
他のヤツはビビって逃げるんです。
私と殴り合いの喧嘩をしてくれるのはヤンキーでした。
いえ当時はエネルギーがありあまっていたのです。
男はグーで会話するって感じです。
私がバスケットボールをしたかった時に一緒について来てくれたのもヤンキーでした。
その練習につき合ってくれたのもヤンキーでした。
一緒に登下校するのもヤンキーでした。
好きな女の子がいるのを打明けたのを聞いてくれたのもヤンキーでした。
受験勉強を一緒に頑張ったのもヤンキーとでした。
かつあげされた時に助けてくれたのもヤンキーでした。
好きな女の子に告白する時に背中を押してくれたのもヤンキーでした。

でもヤンキーは嫌いでした。
嫌いな理由は前の日記で、、、。
ヤンキーの町が嫌いで私は故郷に背を向けました。
「もっと品のいいヤツとつき合いたい」と傲慢ちきに思い立った私は、
芸術大学なんぞに入学しました。
そこの連中は、まったくもって別人種でした。
居心地のいい、ぬるま湯そのものでした。
何か困ったらヤンキーじゃなくて、とにかく酒の世界でした。
ヤンキーを毛嫌いする、それなりにアイデンティティの出来上がったオシャレな連中でした。
私はそこで浴びる程に酒を飲みました。
私は酒がそんなに好きではありません。
あれは景色を忘れてしまうのです。
だから好きではありません、景色はハッキリ見たいのです。
ちなみにロックミュージックの一番好きな所はハッキリしている所です。
しかしまあ酒を飲む事くらいでしか友達の作り方が解らなかったのです。
アホウになってアホウ踊りをするのです。
嫌いなものに背を向けても、好きではないものが目の前に広がっているのです。
ついでに言うと痴漢にあった時もゲイにナンパされた時も周りに大声で助けを求めたのですが、
その街では誰も私を助けてはくれませんでした。
殴って逃げましたが。
さすがに、その頃の年齢になると人を殴って物事を解決するのが恥ずかしかったです。

ある時に私の事を友達だ。と言ってくれる方に会いました。
そして本を読む事をすすめられ、
私に真剣に生きるようにとおっしゃってくれました。
その方の前で私は馬鹿みたいに沢山泣きました。
その方と会う時に酒は必要ありませんでした。

私は彼がどうして私のような、どうしようもないアウトローを友達にしたのか?よく解りませんでした。
なぜなら私と友達になっても彼には何の利益もないのです。
むしろ私とつきあえば私に交際費や貴重な時間を奪われ彼は大損をしているのです。
どうしても疑問に思い彼に「どうして私などを友達にしたのですか?」を聞きました。

彼は「無粋な事を聞く」と、少し笑ってから「会ったからだ」とおっしゃいました。
人間は会ったら愛さなければならない。
それが例えお前のようなナマイキなゴロツキでも。
そうおっしゃっていました。
私は彼に愛されました。
世界には愛があるのだと知りました。