2011年10月31日月曜日

絶対的な平和が私の魂を満たしている。

誰かの幸せについて考える。

あなたの幸せはあなたのもの、

私の幸せは私のもの、

私の幸せを、心の中から取り出したら、それはそれは奇麗な丸く光る星が出てくるでしょう。
星の中には、薔薇や猫や虹やどんぐりが入っています。

その星があんまり奇麗だから、「あなたにあげたい」って思いました。

「この素敵な星をあなたにあげるから私と結婚しようよ」
そう言って、あなたの薬指にその星をはめてみました。

あなたには、受け取ったその星が何だかよく解りませんでした。
僕から見たら素晴らしいその星は、あなたの目には、ガラクタのように映ります。

私は私の幸せを、あなたに押し付けて素晴らしい星を、自分でガラクタに変えて、あなたに押し付けたのです。

私は私の幸せを私の中にしか見る事はできません。
私は私とつながっていて、初めて世界とつながります。
私が私の星を、星の輝きを、光を、手放したりしないかぎり、
絶対的な平和が私の魂を満たします。

2011年10月30日日曜日

ありがたくて、ありがたくて、

今日は、私が一生許しては頂けないだろう。
私がどんな事をして一生償っても償いきれぬだろう。
と思っている方から連絡がありました。

その方と別れてから実に3年と半年ぶりに受け取った文章を読み、
体中の力が抜け、へたりこみ、こめかみを掴み、涙がこみ上げてきました。

ありがたくて、ありがたくて、

2011年10月29日土曜日

ガイコツ

落ちるなよと思う事がある。

オレをガイコツにするな。

なき事を言わずに、
今ここをよくしよう。

なき事を言うな。
よくする事しか、
考えるな、しゃべるな。

2011年10月28日金曜日

隣人とは誰か

ありのままの、その人を好きになれば、
その人が隣人になる。
ありのままの人に出会ったと云う事だ。
そこが入り口なのだ。

まったくニュートラルにその人のそのものを完全に受け入れると云う事は、
自分自身を同じように受け入れる事と同じなのだ。
これは、自分自身に気づけば気づくほどに隣人に気づくという事なのだ。
世に宗教の語る「ありとあらゆる人」を愛せるようになる前に、
たった一人の隣人に会う事だ。

そのたった一人の人は、たったの一度しか生きる事ができないのだ。
たったの一度しか生きれない命を愛せない理由はないのだ。

「あなたは隣人の妻を、むさぼってはいけない」
これは聖書の言葉である。

「汝の隣人を愛すべし」

愛するとは解放だ。

たった一人の人を愛せば、世界を愛せるようになる。
たった一人を解放できれば世界を解放できる。

愛を感じれば私は満たされる。

2011年10月27日木曜日

世界のドアの鍵

私は、ある人の撮った写真や書いた文章を眺めると心が満たされる。
腹の底から安心する。
その感じ方がなんであるか?
意識して自分の意識を追いかけてみる。
追いかけて自己との統一をなそうとする。

そのように幸せいっぱいの精神状態の時であろうと、
だれかのボヤく暗い言葉などは、
私の視界に煙をふきかける。
吹きかけずにはいられない欲望が人にはあるようだ。
そうして完璧な世界は完璧にバランスをとっている。

私は、その人の撮った写真や書いた文章から何を感じて、こうも満たされるのか?
昨日話した無価値感からの派生した感情であるか?
はたまた、もう一つの罪悪感からの派生であるか?

いずれにせよ、私の器の根底には「さみしさ」がデンと腰をおろし、
その「さみしさ」が無価値感と罪悪感の2つのアンテナでリアルに対する臨場感を味わい自分勝手な解釈で自己をバラバラに切り刻んでいる事は確かだ。
まさに感傷と言う言葉がしっくりくる。
観賞し干渉して感傷を抱くわけだ。
くだらない駄洒落のごとく、まったくもって、くだらない。
人間は感傷にひたる方向に進めば進む程に自己から遠ざかる。

自己から遠ざかった自分は他者との繋がりを求める。
寂しさを根本に置き自分に価値を添加するために他者の評価を必要とする。

また恋をしてセックスをする、と云う事に何らかの自分勝手な意味付けをするのは、
罪悪感というアンテナが元に立っている。
罪の意識がセックスを破廉恥なものに陥れる。
罪悪感は自己の外部である世界に干渉しレイプし意味をつけ臨場感を味わう。
ここでハッキリ言っておくが、
下心のある者が下心を生み出しているのだ。
下心を感じる者に下心は宿るのである。
下心はゲスの勘ぐりとは、真実の言葉である。

繋がりたいという心は、すなわち下心になる。
その下心に罪悪感を感じるから、人はそこに臨場感を感じて快感を得る。

私はこの2つのアンテナで感じる臨場感は偽物であると感じる。
偽物では心は満たされない。
絵に描いた餅を食っても腹が満たされないのと同じだと感じる。

私が、その人の写真と文章を観て感じた安らぎとは、
本物に出会った時の感動のように思う。
絶対中立の現実のその人の生命をそこに感じる。

わたしはきっと、ありのままのその人の事が好きなのである。

世界のドアの鍵が開いた。
そんな気がする今日このごろ。

2011年10月26日水曜日

無価値アンテナ

褒められると嬉しいのは、

なんでだろう?

それはね、
自分の事を価値の無い存在だと思い込んでいるから。

だれかに、自分の価値を認められると喜んじゃうんです。

褒められる為なら、なんだってしますよ!
過酷な労働も、つまらない勉強も、くだらない努力も、

でもね

価値が無いのって

本当は自分じゃないんです。

その無価値感って云うのは、
自分とは一切関係のない、
この星におりた時に植え付けられた、ただのアンテナなんです。
そのアンテナをね? ポキっと折ってしまったって、
自分っていうのは、相変わらず自分なんです。

「私には価値がない」 そんな芝居をしているんです。
そうして皆でアンテナを自分に突き刺して、
世界は悲劇の舞台の基盤をつくったんですから。

世界の悲劇の臨場感を最高に味わえるアンテナの内の1本は、
無価値アンテナなんです。

2011年10月25日火曜日

違い

カミュの解く「不条理」は絶対解決不可能で、
西田幾多郎の絶対矛盾自己同一は、絶対矛盾を自己同一によって解決させようとしている。
仏教的救いにまで行きたい願望がある。


2011年10月23日日曜日

音楽

音楽から手を離して、
音楽する。
呼吸の中で共鳴していく、
ブレスする。
深く、
自分の中の深い、もっと、もっと、深いところに、響いていた。

2011年10月21日金曜日

闇鍋アンプラグド

今年も始まりました闇鍋アンプラグド!!!
闇鍋やります。

音楽と鍋をご一緒に楽しんでみませんか?


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10月24日(月)
代々木ラボ

ヤミナベアンプラグド
ながいみかん/たまと鎖/D→Style/ヒトリde108(煩悩108)/
酒井孝彰/JUSTSIZE JUSTICE
※出演者「R」の表記が「ながいみかん」に変更になりました。

17:30/18:00
2000円/2500円

私の出番はトップで18:00からです!

ご都合よろしければ、是非お越し下さい。

2011年10月20日木曜日

愛したり、憎んだり。

宇宙もまた
自分と同じように
愛したり
憎んだりするのだ。

2011年10月18日火曜日

言葉

言葉の警察よ!
厳しく、厳しく、最も厳しく取り締まってくれ!
私の言葉を!
やつの言葉を、彼女の言葉を、全人類の言葉を!
ああ!人間の言葉と行為の二重生活に新しい風を吹かせてくれ!
通じない、どうしても通じない。
どうしても通じないんだ!
なんという暴力、なんという不条理!
私は逃げも隠れもしない!どうか厳しく取り締まってくれ!

2011年10月17日月曜日

言葉の警察

言葉の暴力がある。

私もそれを私の無知故に他人にふるってしまう事がある。
言葉の警察に取り締まっていただかねばならぬ。

そして貝のように口を噤まねば。

2011年10月14日金曜日

私は、いつも「今」から逃れ、
どこかへ行こうとしている。
私がしていることのほとんどは、目的を達成するための手段なのだ。

ゴールはいつもすぐ目の前のもので、
それはセックス、食事、飲酒、スリルなど、つかの間の快楽なのだ。

私はいつも、目的を達成することや、何者かになることに焦点を当てている。
とっかえひっかえ新しい何かを求めている。

もっと何かを手に入れれば、もっと自分が満たされ価値ある人間になり、精神的に成長すると思い込んでいる。

理想のパートナーさえ現われれば、人生は意義あるものになるのだろうか?

思考とひとつになっていると、「心理的時間」が「今のパワー」、すなわち無限の創造力に蓋をしてしまう。

さらに、人生から、活気、新鮮さ、驚きといった感覚が失われるのは、
思考が同じパターンの台本をつくり、似たような感情、行動、反応、欲望を繰り返し演じてしまうからだ。
これでアイデンティティのようなものは得られるが、それと同時に「今」という現実を歪め、ヴェールで覆い隠してしまう。

すると心は不満だらけの「今」から逃避しようとして、未来に夢中になってしまう。
しかし実際のところ、未来というものは、たいてい現在の「コピー版」に過ぎない。
私たちが未来とみなしているものは、現在の意識の状態を反映したものだからだ。
表面的な変化はあるかもしれないが、本質的な変化ではない。
本質的な変化が起こるかどうかは、過去を溶かしてしまえるほど、私が「今に在る」かどうかにかかっている。

過去を溶かせる唯一の場所も「今」しかない。
「時間が苦しみと問題の原因である」ということを信じられないは、
「人生で起こる出来事が原因だ」というのが普通だからそう信じたがっていた。
しかし「今の拒絶」に対処しない限り、問題のパターンが続くんだ。
悟りは、「そのうち」に開けるものではなく。
私は「未来に」自由になることはできない。
「今に在る」ことが自由への鍵であり、私が自由になれるのは、「今」しかない。

2011年10月13日木曜日

きづき

気づきとエゴは共存できない。

私は未来があたかも『今この瞬間』よりも大切なことであるかのように生きています。
未来の何処かで、人生が花開くとでも思っていつか満たされると思っているから、
「今」の輝きを見逃してしまっているんですから・・・。
生きている私にとって未来なんてないんですよ。今この瞬間しかないんです。

ペインとは、私の中にある過去の感情的な痛みのこと。
私の体験したすべての感情的な痛みは、
私のココロとカラダに住みついています。
この感情の痛みに、意味を持たせ続ける限り、私はその痛みから解放されることはありません。
その痛みが、いつの間にか私のものになっていたことに気が付きます。
そうなってしまったら、手放すのは大変。
でも、気が付けば痛みから自由になれます。
無意識に生きたことによって生まれた痛みは、自分にとって必要のないものです。
感情は「頭」と「カラダ」が出会って沸き起こるもの。
感情は「頭」が考えたことに対して「カラダ」が肉体的に反応したものなのです。
思考が自分だと思って、私が「今この瞬間」を生きていなければいない程、
私が目覚めて生きていなければいない程、
その感情はどんどん強くなります。
でも私がその傷ついた自分を観察した瞬間、
その痛みがあることをしっかりと意識できた瞬間、
傷ついた自分と思考の繋がりを断つことができます。
そこに新しい次元の意識が誕生します。
魂が生きれいる事を実感します。
私はペインというエイリアンの観察者となりました。
そして私には理性による感情の内部処理ができる事を学びました。
私は今から、そしてこれからずっと、「今」に生きることになるのです。
自分が何を感じているのかをしっかり感じてみて、そうしたらそれは、
私のエイリアンのおしゃべりなのだと知り、
その感情を受け止めて。
深く考えないで、それから決めつけることもしないで。
ただ、観察している自分がいるのだと、認識します。
思考は意識しなければ存在しえないもの。
だけど意識には、思考は必要ありませんでした。
「身をまかせる」とは、今この瞬間を受け入れるということ。
それは、心の内にあるすべての抵抗から離れていくということ。
“身をまかせること”と、“諦めること”は違います。
諦め・・・そこにはまだ抵抗があります。
身をまかせることは、すべての抵抗と判断を手放すことでした。
今まで味わったことのない、心安らかな感覚が訪れてきます。
喜びと至福に満たされます。
そして、この無上の喜びこそが愛だと知ります。
愛でできたハートを感じます。

2011年10月9日日曜日

タイトル変更。

一年間、Rという名前で活動したのだけど。
こっそりやるのは、もうおしまいにして。
ちょっと、みんなに聴いていただきたい歌があるんです。

これから、「ながいみかん」ええ!!
本名に限りなく近いこの名前で音楽活動させていただきます!
ラストスパートですかね。
いやいや、なるべくなら一生音楽を続けたいのです。
だから踏ん張ります!ぼんぼります!

よろしくお願いします。

マイスペースも引越ししました。
http://www.myspace.com/1004991675 

2011年10月7日金曜日

バンドやろうぜ。

今日blogが書ける事を
スティーブジョブズ氏に感謝。

ー1ー

わしがロックいうのを始めて知ったんは、
高校時代にローリングストーンズが来日した時じゃった。
わしが毎週読んどる週刊ヤングマガジンに記事がのっとって、
深夜番組でストーンズの演奏を見たのが出会いじゃった。

その後、スズっちゅう滅茶苦茶カッコいいパンクロッカーに出会って、
ロックっちゅうもんを勉強させてもろうた。
スズのロック講義は丁寧で親切でほんまに解り易かった。

ほいでスズに「わしは女にモテるようになりたい」って相談したら、
「そんなんは簡単じゃ」って言われた。
当時わしにはそれが全世界で一番難しい事のように思えとった。

その後スズと一緒に京都の大学に入学したんじゃ。
そんとき、わしは絵描きを目指しとったんよ、
大学では風刺画(まんが)っちゅうのを勉強しに行きよった。

ー2ー

ほいで大学に入っての最初一ヶ月は、だーれも友達ができんで、
わし4月が誕生日なんじゃけど、
祝ってくれる友達おらんけん、
ひとりでワインをラッパ飲みしたのを、よう覚えとる。
ケーキも食ったね。
自分のことを男じゃのに乙女みたいじゃのうって思うとった。

ある日ね、大学の構内でチャラい男がわしに話しかけてきたんじゃ。
そいつは洋画を専攻しとる山ちゃん云うヤツでね。
そいつが広島から一緒に上京してきたスズとかとは別での、
わしの始めての大学の友達になったんよ。
その山ちゃんがね、
わしと「バンドがしたい」いうんよ。
「みかん、バンドやったら女とセックスできるんだよ」
って言われてね、その足でわしは山ちゃんと一緒に大学の軽音楽部に入部届けを出しに行ったんじゃ。
ほいで、山ちゃんの家に行ってね、
始めてのバンド会議よ。
部屋に女を連れ込む方法と、いかに女に接近して白兵戦に挑むかを習ってね、あとコンドームはどれがいいかと半額で売っとる薬局を教えてもろうたん。

コンドーム買うのはぶちドキドキしたね、
あれでも、わし何であの時コンドーム買ったんか?よう解らんのよ。まだ女とろくに会話とかもしとらんかったけね。
それがわしの始めてのバンド活動じゃったね。

(山ちゃんに教えてもらった女の攻略法は、わし向きじゃなかったみたいでね、
物凄い量の失敗の経験をわしに与えてくれたんよ。今思えば、山ちゃんの戦法はイケメン専用の技じゃったように思う。あんなんはハンサムとかフェロモンとかオシャレじゃとか、そういう色気とか魅力がないと通じん技じゃけんね。わしとは別次元の世界の話をわしは一生懸命聞いとったという、間抜けな話よ。)

山ちゃんが最初に紹介してくれた女の子をわしは好きになったのを、よう覚えとるね。
若い頃のわしは惚れっぽいけんね。
出会った女の子をわしは全員好きじゃったけど。
山ちゃんの惚れとる女にだけは手を出したらいかんという、
たった一つの鋼鉄の縛りがわしの中にあっただけじゃったね。

ー3ー

わしは楽器なんにも触れんし、山ちゃんはギターリストじゃったけね、
ドラムベースを見つけにゃいかんちゅうことで、
山ちゃんは人を口説くんが上手いけん、山ちゃんと同じ洋画を専攻しとる松ちゃんを上手いこと騙してドラムやらせたんよ。
ほいでベースはね陶芸を専攻しとるギューニュウっていうヤツをわしが口説いたん。
わしは何でか入学式にギューニュウと一緒に王将食いに行った事あったんじゃけど、
そん時はギューニュウは王将で餃子を食っとったから、
わしはギューニュウのことをギョーザって呼んどったんじゃけどね。
わしは、ギョーザがバカそうじゃけバンドやってくれるじゃろう?と思うて「バンドやろうや」って言うてみたんじゃ。
そしたらギョーザは良うわからんナマクラな返事しよるけね「バンドやったらセックスできるらしいで!?」ってわしは吹きこんでみたら、
バカ笑いを始めよって。ほいで「やろう」言うてくれた。
これで、わし等の始めてのバンドが結成されたんよ。
それからは毎日4人で遊んどったね。

ほいでね後から知ったんじゃけどメンバーで童貞はわしだけじゃったんよ。
みんなやりまくりじゃったんよ。
それぞれの体験談を耳でかくして鼻息荒くして聴きいったね。
わしはその時に耳年増になりますた。
バカのギューニュウに負けとるんがショックじゃったね。

−4−

バンドの練習しよういうて集まるとね、
わしは10分前に必ずスタジオの前で待っとるんよね。
ほいで山ちゃんが、だいたい開始から10分後に来るんよ。
松ちゃんは1時間後に来てね。
ギューニュウは1時間30分後にだいたい来とったね。
じゃけ練習時間30分じゃったね。

山ちゃんの超絶ギターテクを他のメンバーが来るまで、ながめ続けるんじゃけどね。
山ちゃんギター上手いのに、他人と楽曲を合わせる時は急にチキンになるけんね、
そういうの見とるのが楽しかった。

つづく。かな?

2011年10月5日水曜日

ラブソング2

急遽入ったライブスケジュールで、
少し更新が滞ってしまいました。

私の好きなラブソング第2弾

って今日は一曲だけですが、
尾崎豊 核(CORE)
この曲は最近になって尾崎ファンの方から教えていただいた曲ですが、
ほんとに、なんという詩人なのでしょうか?精神のバランス感覚の美しさに惚れ惚れします。

2011年10月2日日曜日

世に存在する人類の叡智を刻んだ本を読む時は、
特に名著を読む時は、
その本を見下してはならない、
本の方が自分よりも数万倍も価値があり、
数万倍も賢い、
いや数万では足りないかもしれない、
自分などハナクソほどの価値もない者とし、
自分に価値をおかず、
馬鹿になって、
心で読まなければ、
名著を読み解く事はできない。

2011年10月1日土曜日

ラブソング

人は自分の好きなものを語るときに、
その人の人となりを世界に曝しているように思う。
はてさて自分はどんな人物であろうか?
それは世界にアイデンティティを曝して、
世界に写った鏡を自分で覗いて見るしか手段がないようにも思う。

私の好きなラブソング

尾崎豊 I LOVE YOU
練り込まれ洗練され削りだした詩に人の心が入って行ける余裕を感じます。

DREAMS COME TRUE LOVE LOVE LOVE
恋をするとこんな気持ちになります。歌詞のひとつひとつが丁寧に胸に入ってきて切なくなります。愛を叫ぼう。



松田聖子 あなたに逢いたくて
失恋とはこういう気持ちです。ひとつひとつの景色が丁寧に描かれていて、私の胸は破裂しそうになります。なんという愛の切実さでしょう。





因幡晃 わかってください
天才因幡晃さんの傑作、詩も歌もハーモニーも混じりあい一つになって心にせまります。わかって下さいと。人間世界の悲劇を丁寧に描き女の心で描き上げるという。天才にしかできない素晴らしい作品だと感じます。いかに女性を愛し知って行こうと誠実に調べたかがよく伝わってきます。







サンボマスター 世界はそれを愛と呼ぶんだぜ
サウンドが若いし、だぜと云う若者言葉はなにか気恥ずかしさを感じますが、太宰治のような美しい文体をRockにのせて本当に情熱たっぷりに歌っています。そしてその心根の率直さ美しさに私なんかの胸は揺さぶられてしまいます。魂の叫びに共鳴し感銘を受けます。




さだまさし フレディーもしくは三叉路
さださんの言葉選びの上品さに舌を巻きます。やはり天才です。いつかこんなに素晴らしい詩を歌えるようになりたいと心から思います。私などの小さき能力では途方もない事だとは思いますが高い頂を目指すほどに心は理想を描き、やる気がわきます。この作品を聴くと涙が止まりません、なんという悲劇をなんと美しく表現で描き切っているのでしょう?人が愛するという事を本当に大切に描いていると私のような凡庸な者は思うのです。



長くなりましたので今日はこの辺で。