2011年10月28日金曜日

隣人とは誰か

ありのままの、その人を好きになれば、
その人が隣人になる。
ありのままの人に出会ったと云う事だ。
そこが入り口なのだ。

まったくニュートラルにその人のそのものを完全に受け入れると云う事は、
自分自身を同じように受け入れる事と同じなのだ。
これは、自分自身に気づけば気づくほどに隣人に気づくという事なのだ。
世に宗教の語る「ありとあらゆる人」を愛せるようになる前に、
たった一人の隣人に会う事だ。

そのたった一人の人は、たったの一度しか生きる事ができないのだ。
たったの一度しか生きれない命を愛せない理由はないのだ。

「あなたは隣人の妻を、むさぼってはいけない」
これは聖書の言葉である。

「汝の隣人を愛すべし」

愛するとは解放だ。

たった一人の人を愛せば、世界を愛せるようになる。
たった一人を解放できれば世界を解放できる。

愛を感じれば私は満たされる。