2010年8月18日水曜日

富士の記憶 3

(頂上は晴れてるのかな?)と思って見上げても
全部、雲
なにしろ雲の中を歩いてるわけで
大自然は、ちいさき人間の事情を飲み込んでいる。
大自然の前で人は少しだけ謙虚になり、少しだけ人らしくなるのかもしれない。
命の危険を感じてやっと気付く命の尊さがある。

3時間くらい雨にうたれ続けた身体は完全に冷えきっていた。
(こんな真夏に凍え死ぬのか)
と何度か思い
(ああ、母親には孝行のひとつもできなかったなあ)
と我が人生を悔やみ始めたその時

目の前の売店に

雨具2000円の文字が!!

わたしは、それを急いで購入し
Tシャツを2枚着て、その上に2000円のカッパを着て、更にその上に水を全く弾かない持参したカッパを着込んだのであった。

命を2000円で繋ぎ止めれた。
わたしは人間の文明に心の底から感謝したのであった。

カッパの御蔭で体調も精神も復活して元気に登山
本8合目に宿をとっていたので
18時に目的の宿に到着

そこで友達と会議
わたし「何時に起きるかね?」
友H「御来光を頂上でみたい!」

友Hの決意はかたく
わたしと友Kもその情熱に促されるかたちで
午前1時に起床して
そこから夜を徹して頂上を目指すことにしたのであった。

宿で就寝と云う事になったのだが
宿で与えられた自分のスペースは布団の上に枕一つ分の幅
つまり、まったく知らない人と隣り合わせで雑魚寝するわけだ。
(これはセンシティブな私には難関だな)と思っていたが
ことのほかぐっすりと快眠したものだ。
1時に起床して友達HとKに
「よく寝れたか?」と質問すると
わたしの隣で寝ていた中年男性のイビキがうるさ過ぎて
2人ともよく寝れなかったそうである。
わたしにはイビキなど一切聞こえなかった。

ちなみに宿の就寝配置としては
右から順に
イビキ中年の奥さん、イビキの中年男性、わたし、友H、友K、病弱そうな少年、少年の父親、少年の母親
と云う感じの配列だった。
互いの隙間は広くて5センチ程度であった。

なにはともあれ
頂上への出発

深夜1時に8合目から夜空を見上げると
雲はすっかり晴れ
満天の星空

天の川がくっきり見える。
普段はしない眼鏡をはめて
わたしは星空に見蕩れた。

思い出せば去年の今頃
始めての富士登山で疲れ切って
岩場に腰掛けた時
自分のまわりは静寂に包まれ
聞こえるのは心臓の音と呼吸の音だけ
見上げれば星の海

その景色をもう一度みたい一心で
今年もまた、この日本一高い山にわたしは挑戦したのだ

だから雨だった時は
少なからず、わたしはガッカリしていた。
「ひょっとしたら、見れないかもしれない」と


「あっ流れ星」
友Kが声をはずませた
「うわ見れなかった」
「あっまた流れた」
HとKはよく流れ星を見つけていた。
そして
3人で「ほんとに奇麗だね」
と言いながら頂上を目指した。

つづく