2011年3月28日月曜日

もやし

以前、同じタイトルの日記を書いた記憶がある。
ような
ないような。
内容の無いような内容の日記だったはずだ。
さてと、
私は人の言葉尻を捕まえて駄洒落を言う癖があるのだが、
それを看破される事は少なく、
一人寂しい思いをする事が多い。
いや、しかし人類全体の事を考えれば、
個人個人の希少にして貴重な時間を無駄話で無為に凄す罪悪を回避する上では、
むしろ駄洒落を無視すると云う周囲の行為に正義を越えた神の意思すら感じるのだが。
まあコミニュケーションの一環としてと云うより、趣味?まあ、その辺りの事実は自分でもよく解らないから客観的に勝手に判断してもらってかまわないが、
通常は駄洒落とボケを主軸に、
相手のボケにボケを重ねる事を会話の重点に置く私なのである。
日常風景において突っ込み人口の少ない我が周辺事情でいえば、
私のほしい突っ込みを欲するままに欲しいだけくれる人物とは、
金髪の貴公子サトウタツオただ一人で、
最近彼にはナイトオブゴールドと云う輝かしい愛称が仲間内からつけられたのは記憶に新しい。
私的には彼は聖闘士の中の聖闘士、ゴールド聖闘士、
神に選ばれし聖闘士、
突っ込みチャンピオンのアリエスのムーさながら、
なのである、
本人を前にすると恥ずかしくて、
そう讃えれないのが残念至極である。
いや残念地獄。
さながらハーデス編。
モーターヘッドのナイトオブゴールドを幾人がご存知かは知らないが、
個人的には、かの百式やジオを遙かに上回るハイセンスな機体である事から、
彼の仲間内での評価の高さは尋常ではない事を察していただければありがたい。
話は随分それたが、
つまり駄洒落の話である。
私のボケはナイトオブゴールドによって緩和されているのだが、
駄洒落の方はからっきしである。
砂漠などでは表現できない、ツンドラのごとき生存の許されざる環境に身を置いている自分という儚い存在を痛感せねばなるまい。

そういう訳で、
どうせ何時ものように無視されるであろう駄洒落を、この間も披露していた矢先、
意外にも意外な人物に突っ込まれた。
意外というより不覚である。
本来において突っ込まれる程に露骨な駄洒落を使うなど、
駄洒落使いの私にはあってはならない失態だ。
世界の規律を破綻させかねない不祥事である。
近親相姦がばれたとか、一人こそこそと彼女のパンツを被って変態仮面よろしく!を別れてからカミングアウトしただとか、好きな女の子の縦笛を自らのナニにペトペトとくっつけた。
などと云う不祥事が可愛く思える程の不祥事である。
(ここで注意を挟んでおかねばならない、ここに挙げた例は社会にある事例をピックアップしただけで、決して私自身の変態性を暴露したのではないと云う事を、でなければ私の家族と私がかつて惚れた女性達の名誉をズタボロにしてしまう危険性がある。なにしろ名誉は失うと取り戻せないのだ。ここに取り上げた話はあくまで話を盛り上げる為に私がある人物達から聞いたネタである。だいたい変態行為に及んだ時点で、それは恋などではなく欲望のはけ口で欲情なのではないか?と云うような恋に焦がれる乙女チックな思想を私は私の根本に置いている。私などは小学校の頃に好きな子の縦笛にチューしようかしまいか手にとって悩み、結局は挫けて奇麗に元通りもどした程度だ。当時の学校ではスカート捲りが相当流行っていて、私も漏れずに、その行為に興じてスカートを捲っていたが、ある女の子のスカートだけは、どうしても捲れず、その事で周囲に私の好きな子がバレた思い出は一生大事にしようと思う。以上!注意おわり。)
神話のほとんどは近親相姦であり、
ソクラテスの時代の賢者のほとんどが男性と男性の恋愛であり、
日本の戦国時代の武将などはロリコンでホモだ。
いや!
ロリコンが偽装で、
ホモが真実だ。
なにが武士道だ!笑わせる!!
ああ!いかがわしい事このうえない!
断じて許すまじ。
人はもっと神を敬い畏怖し、
戒律に従わねばならぬ。
罪深き子羊どもめ!
などと私見はともかくとして、
いったい倫理が、どこまで陵辱されれば現代社会は罪と罰を受け入れ更正の道を辿るのだろうか?と云う疑問にもならない疑問もさて置き。
それを置いても人間同士が共感をくり返して正しくなくとも美しくあろうとし、だがあんまり美しくない人間生活に多少の幸せや温もりを感じないではいられず、
やはり人の中の罪の意識が人間同士を結び誰かと深く繋がりたいと感じるならば、
それを、おもむろに否定する気にもなれず、
自らの孤独を人間強度を高める為!などと、
わかりやすくも恥ずかしい、ただ単に人付き合いの下手さの言い訳というよりは、
むしろ一人に慣れているのだ。
慣れていると云うよりも、それが平常であり平穏であり。
いわゆる安穏である。
だからといって寂しくない訳では決してなく。
しかし、どうだろう?自分の寂しさに比べて他者の寂しさと云うのは?
それは計りかねる。
ひょっとすれば、自分よりも他者の方が寂しいかもしれない。
いや自分のせいで寂しい思いをした人が必ず居て。
現在もその人達が寂しき思いをして生きている。
良かれと思ってする事と本当に善き事の差は激しい。
むしろ良かれと思う事自体が欺瞞である。
私ごとき卑小で矮小な存在が思いつきで人に優しい事ができる筈もない。
そんな道理はない。
自己満足よりタチが悪い。
迷惑をかけて、
「いやー良かれと思ってー」などとは、
ただの甘えではないか!
プレゼントをあげたら、こんな物をもらったら物が増えて困ってしまう、帰ったら捨ててしまおう、質に入れてしまおう。と思われても仕方がない、
くらいの気持ちでプレゼントは贈らなくては。
それでもプレゼントを贈らないよりはプレゼントを贈れた方がいいのだから。
そんな風に目の前の事にしかむかえない私は、
いや目の前の事に振り回される私は、実に軽薄で薄い。
などと云う自己否定を表明して自己を保とうとするが、
そもそも自己とはなんだ?と云う鍋に入れても美味しくなさそうな具にもつかない話もさて置き。
もう何の話だったかも、よく解らなくなって来た。
つまり
ある日のある場所で仲間内で集い談笑している最中に、
私はある人物に駄洒落を看破されたのだ。
その看破した女性があまりにも美人で可愛らしい外見だったのだが、
「駄洒落!駄洒落!」と私を指差してフワフワと笑うものだから、
私はまるで浮気がばれた恋人さながらに
「あなた浮気してるんでしょ?」
「いやいやいやいやいや、お前は誤解しているぞ!聖人君主も真っ青とばかりに、竹を割ったような性格の、このオレが浮気などと!そもそも浮気の定義とはなんだ!オレはお前の外の女に触れた事もなければ挨拶以外の会話をした記憶もない!断じてしていない!オレの目を見てくれ!むしろオレの目以外は見ないでくれ!オレを信じれないのか!!!」
「じゃあ隣で寝そべってる、そいつは何なのよ!」
「幻だ!桃源郷だ!人生は夢のごとし!お前は夢を見ているんだよ。そうだ、その悪夢を今すぐ終わらせよう。今日はもうゆっくり休みなさい。お前も疲れているのだろうから、いつも周りに気を使っているお前をよく見ているオレだ。気付かないわけがないだろう、今は昼間だが気にする事はない、家事は全て引き受けよう。いいから寝なさい」
とかいう、やりとり級に
「駄洒落じゃない、駄洒落じゃない」と浮気バレ妄想より遙かに貧困でありていな言い訳にもなっていない薄っぺらな、只の言葉を発する意外のすべのない脆弱な私を私はみた。
所詮は言葉は言葉であり、
言葉は行為や現象を写生したに過ぎず、
悲しいくらいに人間生活と言葉は矛盾する。
とすると私は嘘しかついていない。
それにしても、
人間いざという時には普段無駄に溜め込んだ語彙を失うらしい。
いやこれは言語能力の低い男性ならば特に珍しい事ではない。
非日常のバトルシーンであれだけ饒舌に喋れる聖戦士どもやシロッコ様やバジーナが異常といえば異常なのだ、なんだその面白キャラは!!
男なら悟空を見習え!脇を固める仲間達でさえ説明的なセリフを吐かない潔さ!
必殺技がかめはめ波だと!?
捻くれた自分がとてつもなく薄汚くみえる清さと素直さ。
びっくりする程の一般社会への浸透力!
なんちゅうネーミングだ!
孫悟空にしてもかめはめ波にしても過去の遺物の焼き回しではあるが、
ではあるが
いっそ、そこまで露骨にパクっていると、
なんだかその作者の悪意のなさや屈託のなさに、
幼き少年に対するような慈愛を感じてしまう。
とするとウーロンが猪八戒なのは解るとして、
ヤムチャは沙悟浄なのか?カッパなのか?エロガッパなのか?
なにか?
ブルマは三蔵法師なのか?
いやだなー稀代の聖者をモデルにしたと云われる人物がノーパンでスカートをたくし上げる、読者サービス担当のピチピチギャルになるなんて。

話をもどそう。
まあ私は饒舌な方ではないが、だからといって饒舌な女性が好みと云う訳でもない、
できれば二人の時は静かな方がいい。
それを相手に享受させるつもりはないが、
おしゃべりを楽しむと云うには、あまりにも私は静かさを好む体質なのだ。
気を使ってしゃべると、ほとんどが寒さも感じない自己満足の駄洒落の垂れ流しなのだからロマンスのかけらもない。
奇麗な景色を奇麗なまま気を抜いてながめて、
たまたまそこに、すぐ隣に誰かが居たりして微笑していたら、
まあ、それが私の幸せだと思う。
最早じいさんである。
そこに居続けていただくには、
まあ、それなりの努力は必要ではあるが。
努力とは好かれる為の努力であり、
辛苦をともない継続に力を注ぐ行為ではある。
恋人達よ頑張って!君の目の前の人の笑顔は何にも代え難い宝なのだ。
失ってはならない。
失って気付いても遅い。
失えばきっと私のような、じいさんになる。

自虐ネタは、度を過ぎるとただ痛いだけなので、この辺りが帰り道だろう?
いや、すでに痛いか?
人間の痛覚と云うのは、ある一定を越えれば気持ち良さになると聞いた事があるが、
私には生憎そういった経験がない。
言葉で知っているだけの耳年増だ。

えっと
何の話だったんだろう?
駄洒落ね。
駄洒落、駄洒落と、
もう、すでにお気づきだとは思うが、
私は完全に落とし所を見失っている。
なにしろナイトオブゴールドの不在であるからして、
とりとめようがない。
突っ込みを失ったボケほど痛いものはない。
完全なる自由は完全なる不自由である。
ゴールキーパーの居ないサッカーだ。
サッカーの事はよく知らないが、
キーパーなしじゃあ、きっと・・・どっちらけだろ?
一人でリフティングしてる方がまだマシである。

と云う訳でナイトオブゴールドは同時に若林くんでもある。
時が時ならばゴッドハンドを使えそうな勢いだが、
世代の差なのだ。
あんまり世代間を飛び越えて詳しいと色々あり過ぎて脈絡がぶれるだろ?
ナイトオブゴールドに見える人にはナイトオブゴールドであり、
若林君に見える者には若林くんである。と、
そう云う事にしてくれないか?
まったく大人げない限りで申し訳ない。
ちなみにガンダムならば、あらゆる世代を網羅している私だ。
登場する戦艦を30隻答えよ。と云うテストがあれば余裕でクリアできる自信がある。
主題歌はウイングガンダムのが一番好きだ。
ナイトオブゴールドを越える美しい機体があるとすればクシャトリヤだ。
クイーンマンサの小型化だが
あのフォルムにはウットリさせられる。
ちなみにクイーンマンサはモビルスーツと云うよりはオーラバトラーのようだった。
ハイパーオーラ化したジェリルみたいだ。
べつにオーラバトラーも大好きと言えば大好きだ。多くは語るまい。
ZZを無かった事にはできないのだ。
ロリキャラのあの子がいなければマリーダも存在しない。
都合の悪い自分の過去をなかった事にできないように、
とにかくクシャトリヤはモビールスーツと云う制限で、
しかもジオン軍と云う縛りの中で、
よくぞそこまで育ってくれた。
と私は一人にやけるのだ。
チートなユニコーンにグチャグチャにされたのが惜しいが、
再登場に期待する。

とにかく駄洒落を看破された私は看破した容姿端麗な女性に萌えたわけだ。
生まれて始めて味わった。
これが萌えと云う感情なのか!!?と
個人の琴線に触れる感覚とは人それぞれであり、
それが私の場合は駄洒落を看破され、
ほがらかに笑ってもらえた事だったのだ。
普段、迂闊にも露骨に駄洒落を使ってコミニュケーションを計った際には、
ありきたりには「寒い」の一言か無視で片付けられる事を日常として37年生きてきた私にとって、
その日常を覆すように、
ほがららかに柔らかく上品に笑いながらひとさし指を指される。
などという事態は私の平行感覚をズタズタにし、
ボロボロにし、
くつがえし、
あっさりと
萌えたのである。
恋でもなく、愛でもなく、欲求不満で欲情したでもなく。
萌え狂ったわけである。
萌えと云えば萌えキャラである。
ちなみに私は、漫画なら『幽遊白書』の飛影がダントツで一番好きだ。
女性のキャラで云うなら『功殻機動隊』の素子も捨てがたいが、
やはりここは素直にナウシカのクシャナが好きだ。と言っておこう。
クシャナは映画ではなく漫画で観るべきだ。
小説ならば『コインロッカーベイビーズ』のアネモネが好きだ。
小説の男はしゃべり過ぎるからいかんが、
まあどんな小説でも坂本竜馬が出て来て「〜ぜよ」とおっしゃれば、
私の鼻息は当然のように荒くなる。
映画ならば『レオポルドブルームへの手紙』のレオが最高だ。
女性ならばジュリエットビノシュで、
特に『汚れた血』のアンナは最高だった。
しかし、いかにアンナやクシャナでさえも、
私の駄洒落に反応し、
ほがらかに笑うと云う事は有り得るだろうか?
君とすれ違う時、世界全体とすれ違うだろう。
いつの日か別の日よ。
悲しい悲し過ぎる、やっぱりファンタジーはファンタジーだ。
現実には来ないでくれ。
だいたい、あの手の物語は切ねーんだよ。
ああ本当に好きなのは、ぬけ作先生だ。バカボンのパパなのだ。
それこそ偽善じゃないか、自分の気持ちを偽るなどと奇麗なジャイアンより汚い。

まあ、そんな私の心象風景や妄想はともかくとして時間は流れ場所を移し冷静さと日常をとりもどすと、
いや実際には地震発生以来、通常の生活など取り戻してはいない。
今日も大好きな、もやしを手に入れるのに一苦労した。

ともかく日常風景の中で思い出し苦笑する。
しかし、
あれは何だったのだろう?と、
37歳のおっさんが『萌え』だと???
気持ちが悪い。
現在の若い女性が未だに使っている言葉かどうかは疑問ではあるが、
キモって感じだ。
面と向って言われると少し凹む、その程度。

まあいい
そんな日常的な風景の中で、
もやしの煮浸しを一人で食べている私がいる。
いただいている訳だ。
いただきとは山の頂点だ。
つまり食物連鎖の頂点という訳だ。

朗かに人類の生命保存を目的とした意図で摘み取られた、
摘み取られたと云うよりは、
根こそぎ引き抜かれたであろう。
人為的に発芽させられた一本の新芽を見る。
「もやしって『萌やし』って書くんだよなー」

ごちそうさま。