2011年3月25日金曜日

ファンタジー

たとえば、
悟空がスーパーサイヤ人になる事と、
のび太くんが、通常のアニメのショボさに比べて、
劇場版での、勇敢な振る舞いに変貌をとげる事は、
どちらが依りグレートなのでしょうか?

超神水や千豆、界王拳、元気玉、スーパーサイヤ人、
感情の爆発で大変身。合体までしてしまう。
人間の信じたものは様々な形で世界に具現化するそうですが、
案外そう云うものは、
こういったファンタジーから生まれ育つのかもしれません。
生み出すクリエーターと餌を与えるユーザー、
不思議を信じるという幻から幻への変換。
個人的には、
カッコウが托卵をしているのに似ているように見えるのですが、
どうでしょう?
都市伝説、怪談、小説、ゲーム、まじない、
できそうで出来ない事。
信じる事で見失ってしまう事。
舞台の裏でなにが起ころうと、
舞台の上でしか舞台は演じられない。
舞台の裏は観ないでほしいし、
表であれ裏であれ邪魔をしないでほしい。
情報化で線引きが曖昧になったとしても、
ストーカーという変態行為が流行っても、
下衆は下衆。
線引きのない暮らし、ルールなき世界、関わらなくてよい事に能動的に関りたくなる欲望。
それは進化というより、
むしろ退化。
退化は顔に現れ、
隠しようのない下衆面を舞台に曝す事になります。

自らを律し人事の為に奮い立つと云うのは、
決して簡単な事ではなく。
普段から怠惰で快楽に溺れ、
虚言や悪知恵を働かす人間が、
劇場版で全てを拭い去り友情を深めるとは、
どれだけ過酷なのでしょうか?
信じるとか信じない以前の問題ではないでしょうか?
出来る出来ない以前に何も出来ない人物が
目的を成し遂げる為にやると云う行為。
やると決意する瞬間。
変貌でしょうか?のび太くんはのび太くんのまま。
行為が変わったのではないでしょうか?
快楽に囚われず志に向ったのではないでしょうか?
呑気な学生が社会に出て自分を押し殺し、
人間関係に折り合いをつけ、
生活を正して社会に貢献するように。

ときに、
劇場版のジャイアンのギャップ萌えにかんしては、
あれぞ正しくツンデレなのではないか?
という私見があります。
普段がツンで劇場がデレ。
まあ見た目がああだと
萌えるのは流石にないです。


だが好きにはなる。


ふだん冷たく感じている人に突然優しくされると、、、、
あれ何?ひょっとしてオレ好かれてんの?
的な
ひっかかちまうよそりゃ。
基本オレってバカだし。
的な
真のツンは
ひっかかるようなバカには興味ねーんだよ。
的な

萌えは私の主観的な心の機微で、
もちろんジャイアン萌えの人も大勢いるでしょう。
ジャイアンとスネ夫のBL。
困った事にどちらも美少年ではない。
ガチホモ系なのだろうか?
ジャイアンがデキスギくんを
いや読んでいる人の気分を、これ以上害すのはやめよう。
やめます。

ちなみに
萌えとは隠語です。
だから真面目な方達には用のない言葉でしょう。
私もこの年になって隠語を使うのは若干はずかしくもあるのですが。
まあノリ。
悪ノリともいう。

中年のワルノリ

たちがわるい。

達河 瑠衣という新しい萌えキャラができたらどうしよう?
確実にツンデレだ。
いやデレそうにない。
もう変身とかして真っ黒なキワドいコスでセコい悪巧みをしそうだ。
24歳以降がとっても不安な感じだ。
没だ!没!没キャラ!!!
闇より生まれし者よ闇に帰れ!
ごめんなさい。

あいにく私にはファンタジーの才能は皆無のようです。
アーユーファンタジー?
アーハー
レッツビギン!

簡単に信じてしまっている事、
信じて油断してしまっている事、
案外多いのかもしれません。
人の言葉と書いて信じる。
言葉は言葉。

一見便利そうなドラゴンボールや四次元ポケット、
しかし『猿の手』と同質のものかも?
なーんて思ってしまう事があるんですよ。

『猿の手』もファンタジーですね。
それも信じる人次第なのかな?
人の言葉ですから、
ではでは